上棟の際に作る、御幣(ごへい)というお札のようなものがあります。
長さは1.5m位の細長い板のようなものですが、それにはおかめの面をつける地域があります。
これはもともと京都で始まった風習だと思いますが、今解体工事行っている神戸の現場でも、このおかめの面が付いた御幣が小屋裏から出てきました。
おかめは鎌倉時代に千本釈迦堂(京都市・国宝)を建てた棟梁の奥様だった人で、下記のような云われが残っています。
おかめの物語
鎌倉時代に大報恩寺の本堂(釈迦堂)を作った大工の棟梁(高次)は、
大事な柱の寸法を間違い短く切ってしまいました。
そのことを知った妻のおかめ(阿亀)が枡組を使うようにアドバイスし
高次は無事に本堂建築の大任を果たすことができました。
大事な柱の寸法を間違い短く切ってしまいました。
そのことを知った妻のおかめ(阿亀)が枡組を使うようにアドバイスし
高次は無事に本堂建築の大任を果たすことができました。
しかし、おかめは女のアドバイスで棟梁が仕事を完成させたことを知ら
れてはいけないと、本堂の上棟式を待たずに自害してしまいました。
高次は上棟の日、妻おかめの冥福とお堂の無事を祈っておかめの面を
御幣につけて飾ったと言われています。
れてはいけないと、本堂の上棟式を待たずに自害してしまいました。
高次は上棟の日、妻おかめの冥福とお堂の無事を祈っておかめの面を
御幣につけて飾ったと言われています。
この話を伝え聞いた人々が、貞淑で才知に長けたおかめ(阿亀)の菩提
を弔うために、大報恩寺の境内に宝篋印塔(おかめ塚)を建てました。
この言い伝えから、大工の信仰を集め今日でも上棟式にはお多福の面を
付けた御幣が飾られるようになりました。
を弔うために、大報恩寺の境内に宝篋印塔(おかめ塚)を建てました。
この言い伝えから、大工の信仰を集め今日でも上棟式にはお多福の面を
付けた御幣が飾られるようになりました。
(以上、こちらのサイトより転記)
この千本釈迦堂(←これは通称。正確には、大報恩寺という)は、ゆるい勾配の杮葺きの屋根が優美な、大変美しいお堂です。
興味のある方は行ってみてください。
観光客も少なくて、なかなかいいですよ。
(建物は大変美しいのですが、庭などはあまり期待しないように)
神戸で建物を解体していておかめが出るとは思っていなかったので、ちょっとビックリしました。
京都以外の地域でも、御幣には普通におかめの面をつけるのかな?
どなたかご存知でしたらおしえてください。
「うちの地域でも付けてるよ」
「この辺じゃああまり聞かないなぁ」
とか教えてもらえると嬉しく思います。
佐藤さん
商売繁盛のようですね。
愛媛県東部では、日の丸扇だけでオカメは見たことないです。
世の中では、棟札を付けないのが当たり前になりつつありますが、残念なことですね。
棟梁は「俺が死んでも建物は残る」気概で仕事をして欲しいものですね。
Kさん、いつもコメントありがとうございます。
>愛媛県東部では、日の丸扇だけでオカメは見たことないです
情報提供、ありがとうございます。
そうなんですか。
でも日の丸扇はやっぱりつけるんですね。
>棟梁は「俺が死んでも建物は残る」気概で仕事をして欲しいものですね。
そうですよね。
この気概はとっても大切です。
でも、こういう気持ちを持って頑張っていらっしゃる大工さんは、実際にはまだまだ多いと思いますよ。
みなさん控えめな方が多いので、そういう声はなかなか聴こえてきませんけれど。