金閣の漆と金箔

金閣


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




昨日に続き、木曽の漆の話の続きです。



創建当初の鹿苑寺金閣は昭和25年に火災によって焼失しました。
現在我々が見ることのできる金閣は、昭和30年に再建された建物です。

上の写真の通り金閣は3層の建物で、初層以外の2層目・3層目には全面に金箔を貼って仕上げられています。

先週末に行ってきた木曽平沢で、この金箔の復旧工事について詳しい事情を聞いてくることができましたので、少しお話します。



金箔の最初の下地は木材(板や角材)なのですが、その木の上に漆を塗って下地とし、その上に金箔を貼っています。

昭和30年の創建時にも同じように漆+金箔を貼って仕上げられたそうですが、その箔は10年でボロボロになってしまったそうです。



そして再建から約30年後、昭和61年から62年にかけて昭和の大修理と言われる工事が行われ、下地である漆の塗替え工事とともに金箔も全て貼り替えられたそうですが、その劣化原因はどうも金箔の厚みにあったようです。

上述の昭和の大修理に際しては、
「なぜこんなにも早く金箔や漆の劣化が進んでしまったのか?」
という原因究明の調査や試験が行われたそうで、その結果わかったことは、漆の保護膜としての金箔自体の厚みが薄すぎて、金箔にピンホール(微細な穴)が開いていることにその主原因がある、ということだったそうです。



金箔にピンホールが開いてしまえばそこから紫外線が入り込むのは明白で、何よりも紫外線に弱い漆の塗膜はすぐに劣化してしまうというわけです。

そこで昭和の大修理の際には、通常の5倍の厚さの金箔が貼られることになりました。



創建時(1397年)の金閣は今から約600年前の建物ですから、もし金箔が張替えられていなかったと仮定すると(※)600年前に作られた金箔だったということになります。
※註:この点については僕は確認していないので、実際どうだったかはわかりません

昭和の再建時には金箔の製造も機械化されていたので、600年前よりもずっと薄く金箔を作ることができたであろうことは容易に想像できますね。



そして、金閣の漆(←金箔の下地)塗りの工事には、木曽平沢の職人さんが京都まで出向いて関わられたそうです。

それはなぜかというと、木曽平沢ではテーブルや座卓のような、漆でも大きな平物を扱う技術に長けた職人さんが数多くいらっしゃったからとのこと。

もっぱらお椀や箸などの小さな工芸品に漆を塗っている仕事だけを手がけている職人さんでは、畳1帖やそれ以上に大きな平面をきれいに波打たずに仕上げるということは不可能で、それにはやはり大きな平物をいつも仕上げている職人さんでなくては施工できなかった、ということです。

なぜ木曽平沢にだけ、大きな平物を扱える職人さんが多くいたのか?ということについては、木曽平沢では錆土という漆用下地材が産出されたから、というのがその最大の理由なのですが、この説明は非常に込み入っているのでここでは省きます。

( ↑ 知りたい方は、お会いした時にお話しします)

以上、金閣と漆のお話でした。



漆を根本的に理解するのはなかなかに難しく、まだまだ勉強が必要です。

2 thoughts on “金閣の漆と金箔

  1. 応援団の K

    金閣寺の金箔押し(金箔は貼ると言わず押すと言います)の話はNHK-プロジェクトX で放送していましたね。・・・たぶん録画したと思う・・・
    ヘビ-スモ-カ-の主人公が仕事をこなすために禁煙して頑張ったところだけ覚えています。
    手作業で延ばした金箔と機械打ち金箔の厚みの差はどうなんでしょうね? 一概に機械打ちの方が薄いとは言えないんじゃないかな?

    返信
  2. さとう

    Kさん、いつもコメントありがとうございます。
    箔は「押す」というんですね。
    そう言われてみればそんな気がします。
    箔の厚み、僕も確かめたわけではありませんが、現在の機械でやるものと比べると、ムラは大きいのではないかという気がします。
    あれを手打ちだけで伸ばして均一にするというのは、恐ろしい腕力がいるでしょうね。
    それとも昔は水車とか使っていたのかな?
    研究論文ではないのですが、こんなサイトもありましたよ(↓)
    http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site54/ariga6.htm

    返信

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