(↑ぜひ拡大してごらん下さい)
旧中山道沿いには、昔の宿場町の面影を残すまちなみが多く残っていますね。
今回はそんな中の一つ、奈良井宿に連れて行っていただく機会を得ましたのでご報告します。
奈良井宿は長野県の中央部、塩尻市にあります(地図はこちら)
出梁造(だしはりづくり)と呼ばれる造りの民家が建ち並ぶ宿場町です。
写真のように、2階の梁が1階の外壁よりも前にせり出していますね。
2階の床を支える梁がせり出しているから出梁造というのでしょう。
この地方独特の構造で、近畿地方では見られない形です。
奈良井では、とにかく塗り物(←漆塗り)の工芸品を売るお店がたくさんありました。
さすが木曽路です。
以前読んだ、筑波大学の安藤邦廣先生が書かれた本の中で言われていましたが、歴史を紐解いていくと東日本は木の文化、西日本は土の文化なのだそうです。
すごく大雑把に言ってしまうと、早く(飛鳥・平安)から文化が栄えた近畿地方などでは、大きな寺院やたくさんの民家を建てるために豊かな森林がドンドン伐採されつづけ、木がなくなってしまった。
そして応仁の乱や幾多の戦火により民家が焼かれると、そのたびに次々に木は切り出され、木がなくなる。そこで土の文化が発達した。
一方、東日本はそういった事情がなかったため、比較的木に恵まれた文化が発展した。
そのおかげで、関西の家は土壁が一般的で、お椀なども土モノ(焼き物=陶器)が定着した。
一方で東日本では板壁の家が多く、食器なども木地+漆塗りが一般的になったそうです。
僕も生まれは静岡で、元々は東の人間(いまではどっぷり関西に浸っていて、当分離れる気はありませんが)だからでしょうか、塗り物の食器を見るとなぜかホッとします。
もちろん、焼き物も好きなんですけどね。
でもそれとは少し感覚が違う、深いところでやはり木の文化を欲しているのかもしれません。
血だからしょうがないですね。
なにせうちの母方の実家では、今も僕のいとこが林業をやっているという家系ですから。
いろいろと塗り物の店を覗いて、少し長目のとり箸(もちろん塗り物)を買ってきてしまいました。
奈良井宿を後にする前に、木曽のヒノキでつくった木曽の大橋(↓)を見て、
「ああそういえば、錦帯橋で使われていたのは確かケヤキだったって聞いたけど、やはり木曽はヒノキなんだ。」
などと考えました。
そんなところにも、作り手の想いが垣間見えて面白かったです。
(株)木造建築東風のサイトはこちら
世界に、300年先も美しい風景を