前々回の記事でも少し触れましたが、12/1(土)、2(日)に東京・池袋で民家フォーラムが開催されました。
そこで筑波大学の安藤邦廣教授が、『再生する』ということの本来の意味について、こんな話をしてくださいました。
兵庫県豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園では、コウノトリが自然環境のもとで生きていけるための環境づくりに取り組み、卵から孵化して育てたコウノトリを様々な方法で放鳥しているそうです。
コウノトリは日本の特別天然記念物に指定されているそうです。
( ↑ 恥ずかしながら、僕は初めて知りました。)
この公園では、最終的には野生のコウノトリが豊岡の空を、そして日本の空を飛んでくれるように、と願って様々な活動に取り組まれているようです。
この事例を引き合いに出して、安藤先生はこのように(↓)話してくださいました。
「動物園で飼育されているコウノトリを見る」ということと
「自然環境の中で生きている野生のコウノトリを見る」ということは
意味が違う。
これからは民家再生もこのような視点から考えていく必要がある、と。
どちらもコウノトリが絶滅せずに生きている(=種の保存)、という点では同じです。
でも、人為的に整えた環境下でなければ生き永らえることが出来ないというのは、本来の意味での『再生』とは言えないのではないか?
コウノトリが自分で餌をついばめる、どじょうやかえるが生きている豊かな田んぼや川があって初めて、コウノトリは野生化できる。
そのような環境を守り、維持していくことから着手して、そこに野生のコウノトリが繁殖していくことこそが、本来の『再生』ということなのではないだろうか?
民家再生という運動が盛んになり、各地に物体としての民家は残り始めるようになってきています。
それ自体は大変喜ばしいことです。
でも、現在の民家が再生されている状況は、まだ本来の意味での『再生』には達していないケースが多いと思うのです。
そして安藤先生は、こう言われました。
【1. 民家は風景である】
民家を維持していくために必要な材料(木・草・土・竹・紙・石など)は、
全て日本の風景の中にあったもの。
つまり、風景を守らなくては民家を守れないということになる。
【2. 民家は暮らしであり、社会である】
基本は互助で成り立つ社会というものを、
これまでの日本は前時代的なものとして捨ててきた。
そして民家が取り壊され、失われると、その社会が失われてしまう。
教育と福祉、環境保全、そして地域社会の仕組みの中で
生活の場としての民家と、そこで繰り広げられるコミュニティを残していく
ことこそが、本来の意味での『再生』なのではないか?
非常に重みのある言葉です。
これは一人でも多くの方に聞いていただくべきだと僕は感じましたので、ここにご紹介することにしました。
自分として何ができるのか?
これからどうしていくべきなのか?
ということは、これからみんながそれぞれに考えて行動していかなくてはいけないことだと思います。
今回の話は、民家再生という切り口から問題を捉えた議論でしたが、
〇 地球環境のこと
〇 子供たちの育成・教育のこと
〇 ストレスにさらされて様々な病を抱えながら生きていかざるを得ない
現代社会のこと
いろんなことがこのことに繋がっていくと僕は思うのです。
ちょっと僕にはすぐに消化できそうもないほどの大きすぎるテーマですが、じっくり時間をかけて向き合ってみようと思っています。
あなたはどう思われますか?
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