ブログの更新が1週間も滞ってしまいました。
静岡へ行って、帰ってきてからバタバタとクライアントとの打合せやその準備が数件重なり、更新ができなかったためです。
いつも見に来てくださるみなさん、どうもすみません。
そしてありがとうございます。
ご報告が遅くなりましたが、11/9(金)(←新月の前日)に今年の新月伐採作業@静岡を無事完了しました。
上の写真は、静岡市葵区梅ヶ島(うめがしま)の伐採完了現場の状態です。
斜面に横たわっているのが、今回の新月期に伐採した木材です。
(全ての画像はクリックすると拡大表示できます)
このままの状態で、山の斜面に来年の3月まで(4ヶ月間)寝かせておいて葉枯らし乾燥させます。
今回この山では、90年生(←植えてから90年経っているという意味)の杉と桧の林で伐採を行いましたが、これからさらに生長させる木を残しながら、必要な本数だけを伐採しました。
立っている木は今回伐採せずに残した木です。
これを間伐といいます。
(→全部の木を伐採することを、皆伐:かいばつと言います)
この山は今後当分は伐採せずに山の管理を続けていきます。
あと110年維持していって、200年生くらいの山ができるといいなぁ、などと勝手な夢を膨らませています(笑)。
伐採後の現場の状態を確認するために、NPO法人・新月の木国際協会の現認者・大山さんが小田原から再び来て下さいました。
(大山さん、何度も足を運んでくださってどうもありがとうございます)
倒した木と大山さんを比べると、大山さんが小さく見えます(笑)。
でも本当に、木は立っている時(←伐採前)は割と細く感じるんですが、いざ倒してみると大きいんですよね。
今回は静岡市内の2つの山で伐採を行いました。
一つは上述の梅ヶ島。
ここは僕の曽祖父(ひいおじいちゃん)が90年前に植えた木です。
もう一つが静岡市葵区坂本という場所にある、山田さんの山です。
この山田さんがおもしろいことを言っていましたのでご紹介します。
上の2枚の写真を見てください。
どちらも同じ山(←山田さんの山)に生えていた杉の木ですが、樹皮の表面が違いますよね?
左は50年生、右は70年生の杉です。
左の杉は樹皮が赤々としていますが、右の杉は樹皮の表面にびっしりと薄く苔が生えて緑色になっています。
( ↑ 苔が生えていても病気などで木が傷んでいるわけではありません。
全く健康な状態です)
山田さんはこれを、「若い木、古い木」と言っていました。
50年生はまだ若いのです。
そして70年生はそれに比べて古い木だと言います。
これらの木は製材すると、こんな風にどちらも同じく真新しい木材=新材(※)になります。
(※) 古民家などを解体すると出てくる【古材】に対して、古民家業界では【新材】と呼ばれます。
でも実際は、植えてから70年、90年、100年以上と長い時間を生き抜いてきた、新材なのに「古い木」なのです。
( ※ 昨年は110年生の木を伐採しました。
来年はまたこの110年生の山を伐採する予定です)
市中の喧騒が届かない、静かな山に入って古い木と対峙していると、いろんなことを感じます。
木はとても優しく黙っていて何も言いませんが、
遠い祖先の恩恵を受けて今僕たちが木を使わせてもらえること
山の中に生えている様々な植物やそれを食べて育っていく動物たち
そして山に降り注いだ雨水が土の中に染み込んで浄化され、
人間を含めた全ての生物がそれによって生かされていること
などを無言で表現しています。
こちらがそこに意識を向けなければ気付かない、とても静かな言葉です。
自分がいかに小さな存在かということを感じ、同時に生かされている者としてこの豊かな自然環境を大切に守っていくために自分に何が出来るだろうか?ということに、自然と思いが向いていきます。
今回何度も何度も山に入って、とても大切なことを改めて木に教わりました。
もちろん、こういうことは頭ではわかっていたんですけどね。
うまく表現できませんが、腑に落ちたというか、頭だけではなく心と体に染み込んだという感じがします。
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