最近読んだ雑誌の中に、「あぁなるほどなぁ」と
深く感銘するくだりがあったのでご紹介します。
<ここより抜粋>
日本文化は見えない世界をとても大切にします。
平成16年に四国の金毘羅宮で大修理がありました。
この金毘羅宮の天井には木地蒔絵(きじまきえ)といって
木目を生かした漆塗りの装飾が施されています。
一般の人が参拝する拝殿と、神様にお供え物をする
弊殿(へいでん)と、神様を祭る本殿にそれぞれに
描かれているのですが、大修理を通して初めて分かったのは、
拝殿、弊殿、本殿と奥に行くに従ってその木地蒔絵の
図柄が非常に簡素になっていることです。
にもかかわらず技法が非常に高度になっていく。
本殿は宮司すらめったに入らない場所です。
そういう人目につかないところに、簡素な図柄と
高度の技術が使われ、深い精神性が凝縮されます。
私は「これは日本文化の神髄を象徴している」と思いました。
教育も同じで、目に見える理性教育ばかりやって
いたのでは駄目だと思います。
見えない心、その奥の無意識の部分まで含めた
教育の大切さを見直さなくてはならないと思っています。
(月刊誌『致知』8月号掲載の対談
”一道に生きて見えてきたもの”より抜粋
国際基督教大学名誉教授・石川光男氏の発言 )
<抜粋ここまで>
これを読んではっと気付いたのですが、
東風で家づくりをする際にも、同じことを考えています。
簡素な図柄と高度な技術を用いなければ、
深い精神性は凝縮できない。
でも、これが相手に伝わらない、理解されないということは
実は結構あります。
僕はそういう時、
「仕方がない」
とその場は一旦諦めて引きさがります。
なぜなら、その場で言葉を尽くして伝えれば理解してもらえる
という問題ではないからです。
その一方で、わかる方は何も言わずにすっと理解されます。
もっとわかりやすく伝える方法はないか?ということは
もちろんいつも自問自答しています。
でも、基本的には僕は自分のこのスタンスを変えるつもりはありません。
なぜなら、薄っぺらい物を作る気はないからです。
みなさま、わかりにくくてすみません。