投稿者「mokuzo_architect」のアーカイブ

2012伐採

先日、和歌山へ行ってきました。
伐採を依頼した杉の木を見に行くためです。

本当はその日に見に行く予定ではなかったのですが、当日の朝、雨が降っていたことから現場作業が延期になり、全ての都合がピタピタと合ってきました。
(というか、数週間前から林業家に「行きます、行きます」と言っていたのに、なんやかんやで行けずじまいだったのです)

そこで急遽
「今日しかない、今から行くぞ!」
ということになり、事務所スタッフ総出で和歌山へ。

現場は和歌山県田辺市の山深い北斜面で、とても良い杉が林立していました。
樹齢は100年ちょっと超えたあたりの人工林です。

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立ち木を見てみて、あまりに良い木なのでビックリして

「いやぁ~、いい木ですねぇ~」

と僕達が言うと、吉野で長年林業を営んでこられた福本林業の福本さんも

「ここの木はいい木ですよ。
 ひょっとしたら吉野の木よりも良いかもしれん」

と仰っていました。

東風の天然乾燥材ストックは、この春に使う予定の材料がたくさんあってかなりはけてしまうので、ストックを補充しておかなければなりません。

なにせ伐って使えるのは最短でも1年後、できれば2年後以降(2014~)ですから、伐り旬が終わってしまう今のうちに伐っておかなければなりません。

今月末までに伐採を行う予定です。
製材が楽しみです。

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尼崎で基礎工事が進行中です

兵庫県尼崎市内で新築住宅の基礎工事が進行中。
下の写真は、土間のベースコンクリートを打設した直後の写真です。

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このベースコンクリートを打設したときは、ちょうど最強寒波が来ていたときでした。

コンクリートが寒さで凍ったりしてしまっては大変なので、コンクリートに使うセメントを普通セメントから早強セメントにしたり、強度を2段階上げたり(←これを温度補正といいます)、コンクリート打設後は温度が下がりすぎないようにブルーシートで覆ったり、といろいろ手を尽くしました。

コンクリートという無機質な材料も
「ジャバジャバと流し込んでしまえば、あとはほったらかしでオッケー♪」
というような乱暴なものではなく、実はなかなかデリケートです。
( ↑ 今の時節柄だから・・・という事情もありますが)

また明日から寒くなるようなので、気をつけておかなければ、と思っているところです。

今日は立春、東風になって3年経ちました

今日は立春です。

立春とは冬至と春分のちょうど真ん中にあたるそうのだですね。
(知らなかった・・・)

2009年の立春に、木造建築 東風と現在の名称に変更してから、今日で丸3年。
これから4年目に入ります。

みなさまの暖かいご支援・応援のおかげで、何とか事務所が運営できていることは、本当にありがたいことです。
日頃のご愛顧に対し、心より御礼申し上げます。

さて実は、一昨年の秋よりのらりくらりと進めてきた東風ホームページのリニューアルが一段落し、公開しても概ね問題ないレベルになりましたので、今朝新旧ホームページの交代を行いました。

未完成な部分が少し残っているのですが、もしご興味があれば覗いてみて頂けると嬉しく思います。

新しいサイトのコンセプトは、
「パッと見てわかりやすく」
ということを軸に作ってみました。

○ 東風ってどんな特色があるの?
○ どこにこだわってるの?

というところも、直感的に伝わるのではないかと思います。

これまでのサイトに比べると、テキストの情報量はかなり減らして、画像を増やしています。
ご意見・ご感想などありましたら、送って頂けるととても嬉しく思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

木造建築 東風の新しいサイトはこちら(↓)
 http://www.mokuzo-architect.jp/

初釜 2012

本年の初投稿です。

旧年中はみなさまこのブログを見に来て下さり、本当にありがとうございました。
2004年12月から始めたこのブログも、ついに8年目に突入しました。

実は2年越しの課題・ホームページの全面モデルチェンジに取り組んでいることもあって 、このところすっかり更新ペースが落ちていますが、ボチボチいきます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨日は茶道の稽古場の初釜でした。
僕が習いに行っている稽古場では、毎年初年度1回目の稽古のときに、初釜として少し簡略化した茶事が催されます。

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↑ 床飾り

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↑ 長板を使った点前座の構え

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↑ 点心

この点心がと~っても美味しかったです。

稽古場の先生と弟子のみなさんで作って下さったのですが、
「これ、料亭で出せるんじゃないですか?」
というほどおいしかったです。

写真を撮っていないのですが、この点心の後で濃茶・薄茶を頂きました。 
昨年は稽古も休みがちだったのですが、今年はもう少し頑張って行ける回数を増やしたいと思っています。 

あなたはどちらが好きですか?
 30年後に「そろそろ建て替えようか・・・」と言われる家と
 「200年前のおじいちゃんが建てたの」と2212年に言ってもらえる家

桧(ひのき)の丸太梁の加工

この秋から構造材の準備に取り掛かっている、尼崎市H様邸の墨付け・刻み作業が少しずつ進んでいます。

今日は2階の屋根を支える丸太梁の加工の様子をご紹介します。

 

 

まだ本格的に刻みの作業工程に入ったわけではなく、墨付け作業(※)の途中ですが、この丸太梁自身および、これに絡む梁の墨付けをするためには、丸太のフォルムを決めてしまう必要があり、削っています。
 
※【墨付け(すみつけ)】とは、木材を組み合わせるホゾや蟻(あり)などの位置・大きさなどを実際の部材にすべて記載していく作業のことです。
 全ての部材に対して、まずこの墨付け作業を施してから実際にノミなどを使ってホゾなどを刻んでいく【刻み】の工程に進みます 
 
 
 
今回H様のお宅で使うことになっている丸太梁は全部で9本あり、全て桧でご用意しています。
一般的に、丸太梁には松を使うことが多いのですが、今回のお宅では化粧梁として見えてくるので、仕上がった表面の光沢や艶など、後年の梁の美しさも考え合わせて桧を使うことにしました。

なお今回の桧の丸太梁も、東風では全て原木の状態で購入しています。

 

 
以下に現在行っている丸太の仕上手順をご紹介します。
 
 最初はこんな状態(↓)です。
 
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原木で購入した桧を、2面のみ帯鋸(おびのこ)で製材して面(つら)をつけます。
この写真ではわかりにくいのですが、製材の際にも2面を平行に挽くのではなく、木の元(もと:根に近い方)は厚く、末(すえ:天を向く方)は少しだけ薄く挽いて自然なテーパーがつくように挽いています。

上の写真は平積みしている状態なので丸太が横を向いていますが、実際には右に90度回転させた向きで梁として組み上げます。 

 丸太の製材はこんな要領(↓)でテーパーをつけて行いました。

 
maruta02
  
今回は丸太の断面を円形→八角形に削って仕上げます。
 
皮をむいた丸太のままの表面もおだやかできれいですが、8角形に削り落として仕上げると、ぐっと締まった表情になり、同じ材料とは思えないほど格が上がった雰囲気になります。
 
まずは丸太の木口に仕上がり位置の墨をつけ、鋸でざっと荒削りしてから電気鉋で少しずつ削っていきます。
(昔はこの作業を斧とチョウナで行っていました)
 
 maruta03

 
 ↓ 電気鉋で削っている様子
 
 maruta04
 

maruta05
 
 
上の写真が、全ての梁を電気鉋で仕上げ終えた状態です。
部材の断面形状としてはこのような8角形になりますが、表面はこの後、墨付け作業+刻み作業を終えてから、手鉋で削って仕上げます。
 
ダイナミックでいて、なおかつ上品さも持ち合わせるような雰囲気にするため、今回は材料選定の際、丸太の曲がりが緩やかなもの(=直線に近いもの)を意図的に選んでいます。
 
 
 
東風でつくる建物では丸太梁を見せることが多いのですが、こういう仕上を施すのも機械で刻むプレカットの際には行っていません。
手刻みならではの仕上げ方です。

よく、
「手刻みとプレカットとでは、どこがどう違うのですか?」
という質問を受けて、説明に困ることがよくあります。
( ↑ 一言では説明しにくいのです・・・)

手刻みには手刻みにしかできないことがあります。

建物の強度・仕組み・特性も、プレカットか手刻みかで変わるのですが 、こういった細やかな仕上作業に要する手間の違いもデザインに大きく関ってきますし、このように削って仕上げる場合にはそれだけ大きな材料が必要になってくるので、材料単価も上がります。

そういった小さなことを積み重ねていくと
「やっぱりプレカットではこういう風にはできないよね~」
という形になっていくので、当然費用も変わってくるのですが、やはりそれだけの意味や価値はあります。

手刻みとプレカットの違いを分かりやすく説明できる資料、作らないといけないなぁ・・・。

よし、この正月にはなんとか作って公開することに、今決めました。
どうぞお楽しみに。 

京都の北山杉、奈良の吉野杉

9月の末のことですが、日本民家再生協会の主催で日本建築研鑽会/京都奈良講座2011を行いました。
 
企画は僕が担当し、京都の北山杉(磨き丸太)と奈良の吉野杉(樹齢100~300年の大径木)の両方の林産地を訪ね、双方のつくり方を1泊2日で観て廻るというものです。

まず1日目は北山杉を観に、京都市の中川という場所へ行きました。
案内して下さったのは、中儀銘木店の中川さんです。 

京都・北山杉編では3ヶ所の山と中儀銘木店様の倉庫・店舗を見学しました。

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上の写真は樹齢700年と言われている台杉の株です。

台杉というのは、上に真っ直ぐ生えている部分だけを伐って商品として出荷するもので、茶席の垂木や小径丸太などとして使うための磨き丸太を育てる木です。

この木は昭和天皇も見学に来られたことがあるそうです。

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次に、主に磨き丸太の柱を作っている山へ行きました。

1坪(畳2帖分の広さ)に3本の苗木を植えて密植し、若いうちから頻繁に枝打ちを施して木が太らないような環境を作って、細く長く育てます。
磨き丸太は末落ちが小さい(=根元と末の太さの差が少ない)ものが喜ばれるので、このような育て方になります。

この後、中儀銘木店様の倉庫と店舗を見学させて頂き、素晴らしい材料の数々を拝見して京都から奈良へ向かいました。

翌日、奈良県吉野では福本林業の福本様にご案内をお願いし、樹齢60年、120年、270年の吉野杉を見せていただきました。

下の写真は270年生と言われる吉野杉の木です。
デカイ!

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参加者のKさんが写真を撮っていらっしゃるところを後ろから撮らせて頂きました。
(Kさんごめんなさい)

胴回りは約4.5M、ということで直径は約1.5Mあるようです。

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最後にこのような250-300年生の超大径木だけをふんだんに使って作った、川上村森林組合のお座敷を拝見。
ここにはもんのすごい材料が贅沢に使われていました。

圧巻はやはり天井板でしたが、柱も赤杉の四方柾4寸角柱だらけで、しかも全ての木の色を合わせるために同じ山の木だけを集めて作ったという、森林組合のみなさんの意気込みがビシビシ伝わる座敷でした。

各所に細やかな配慮が行き届いた丁寧な職人の仕事が見られ、デザインも大変控え目で品のある美しい作りになっています。

よその木材関係者がこの座敷を見学に来たときに、あまりにも材料が美しいものですから
「なあ~んだ、この部屋は集成材で作った部屋ですか」
 と言ったそうです(笑)。

確かにそんな風にも見えるかもしれませんが、使われているものはもちろん全て無垢材。
たったの2部屋で数千万円かかったというのもうなずけます。 

2日間にわたって京都・奈良の全く性格の違う林産地を廻ったのには訳があります。
実は京都の数奇屋建築では、この両者を一つの部屋に取り合わせて使うことが多いのです。
それをみなさんにご理解いただきたくて企画しました。

来年の2012年講座は、今年の内容を踏まえて建物を拝観させて頂くプランを計画しようと思っています。
どこへ行こうかな ♪

尼崎市H様邸 構造材の選木・出荷作業を行いました

来月から尼崎市内でH様邸新築工事に取り掛かります。
久しぶりに構造材を全て手刻みにて行う現場です。

11月に既存建物の解体に着手し、年内には基礎工事を終え、
年明け早々に建て方の予定です。

来週からはついに大工さんによる墨付けを開始するのですが、
それに先立って9月末から10月初旬にかけて静岡のストックヤードへ行き、
一週間にわたって構造材を選別・出荷する作業を行ってきました。

 

 
山のように積まれた構造材の中から、必要な太さ・長さの物を選び出し、
一本ずつ木の目を見ながら、
 
 ○ どの場所に使うか
 ○ どの向き(天/地の方向や東西南北の向き)で使うか
 
などを決めていきます。

木材には元末(根元=元)という下から上への向きの他に、
山の斜面に応じて谷側が曲がるというクセが出ます。

その曲がりや元末の向き、そして節や割れの有無などを確認しながら
木材の配置と向きを決めていきます。

木が活きるように使ってあげること、美しく見えるように配置してあげること
お住まいになるご家族に幸せが集まってくるように材を組んでいくこと
などがこの作業の肝です。 

shizuokakidashi2011_1

これらの木材は3年前に伐採し、4ヶ月の葉枯らし乾燥後、2年以上かけて
ゆっくり天然乾燥させたものです。

北向き斜面の標高900mで育った樹齢130年生の杉・桧で、年輪がとても
詰まっている良材です。
東風自慢の木材です。

使う位置や向きを決めた材料には、下の写真のように一枚ずつ個別のラベルを貼りつけ、
曲がりやねじれなどを取るための修正製材作業時の加工寸法を書いていきます。
 
黒字は1階の構造材として使うもの、赤字は2階の構造材として使うもので、
黄色のラベルは鉋などで化粧仕上げを施すもの、水色のラベルは天井裏や
壁の中に隠れてしまうための化粧仕上を施さないもの、という風に分けています。

shizuokakidashi2011_2

一週間、早朝から日が落ちるまで、毎日毎日大工さんと2人で
ひたすら作業を続けたのですが、結局きっちり1週間かかりました。

 
10/4(火)の午前中から運送屋さんの15トントラックに積み込み、
吉野の製材所へ出荷しました。
 

shizuokakidashi2011_3

毎度毎度のことですが、15トントラックはデカイです。
荷台の長さ9.5m×巾2.3mが構造材だけで山積み一杯になりました。

これに積みきれなかった垂木などの細い材料を、東風の1.5tトラックに積んで
持ち帰ってきました。
来月にはもう一度静岡へ行き、野地板などの板類を東風トラック満載にして
持ち帰ってくる予定ですが、積みきれるかなぁ。
1.5トントラックではちょっと無理な気がしますが・・・(汗)。

これらの材料は先週末から修正挽き(製材)と表面の第1回目の
仕上げ作業(モルダー加工)に取り掛かっており、再来週の初めには
吉野の加工場へ搬入される予定です。

いよいよ来週からは墨付けが始まります。
今から楽しみです。

木造の小学校

最近観に行っていませんが、全国各地にはまだいくつか木造校舎をもつ
小学校があります。
(僕は調べていないので知りませんが、中学校もきっとあるのでしょうね)

僕は大阪・京都・奈良・北海道にある木造校舎や体育館を観に行ったことが
あるのですが、それらのどれもに共通していたことがあります。

その木造校舎を建てるための費用を負担したのは、自治体ではなく村の
人々の寄付だった、ということです。

今では少なくなった木造小学校の校舎は、統廃合で廃校になってしまった
ものもありますし、まだ現役で使われているものももちろんあります。

最近読んだ本にそれに関係する事が書かれていて、そうだそうだと
思い出しました。

上述の本の内容はとてもよかったので、また日を改めてご紹介したい
と思っていますが、その本の中にこんなことが書かれていました。

   +   +   +   +   +

地域社会で生活している人たちは、地域の小学校を自分たちのもの
と感じていた。

だから地域の人たちにとっては、
小学校=地域の中心
という特別の思いを抱いていて、小学校の運動会や学芸会などの
イベントは、地域を挙げての行事だという雰囲気があった。

こういう空気だったから、小学校の子供は地域社会の子供として
とらえる気風もあった。

よその子が悪さをしていると、自分の子供と同じように怒ったり、
貧しい家の子が、勉強ができるのに経済的な事情で上の学校に
行けない場合など、地域の篤志家が援助して学校に行かせる
ということがあった。
   +   +   +   +   +

これを読んで、確かにそれはそうだろうなぁ・・・と感じました。

僕たちの世代では、ほとんどの小学校はもうすでに市立になっており
実際僕が通っていた小学校も、まだ一部に木造校舎が残っていた
とはいえ、80%は鉄筋コンクリート造の校舎でした。
市が建設費を出してくれて、しかも鉄筋コンクリート造で、という小学校に対する愛着と
自分も含めた地域のみんなでお金を寄付して、木造で建てた小学校に対する愛着とでは
それはそれは大きな違いがあるでしょうね。

また木造校舎を観に行きたくなりました。
今、どのくらい残っているのかな? 

外出先で仕事をする時の場所

仕事中に外出先で時間をつぶさなくてはならないことがよくありますよね。

そういった時は喫茶店などに入って、ノートパソコンで仕事をしたり、資料に目を通したり、本を読んだり、構想を練る時間に充てたりされることが多いと思うのですが、往々にして喫茶店というのはやかましいですよね?

昨日の朝は大阪市内でビルの地下にあるサンマルクカフェに入ったのですが、スターバックスなどとは違ってとても静かでビックリしました。

店内に流れるBGMは静かなJAZZだったし、なぜかみなさんお一人で過ごされているお客様ばかりでした。

 

ひょっとしてそういうお客様に来てほしい、というサンマルクカフェの指向のせいなのかもしれませんが、かなり快適に仕事ができたので、今後もサンマルクカフェを使うようにしようかな・・・などと思ってしまいました。

ひょっとすると、たまたま僕が行った時間帯・店舗がそうだっただけなのかもしれませんが、外出先で快適に仕事ができる店というのは少ないので、いいところを見つけたなぁと、何だかちょっと得した気分です。

煙出し

塩尻に行ったときの続きです。

古材の実験の後、塩尻市内にある国指定の重要文化財「堀内家」を見学させて頂くことができました。

honmine

いわゆる「本棟(ほんむね)造り」の特徴をよく残した立派な姿です。
現在、このお宅は使われてはいません。

今回の見学に当たっては、ご当主の奥様でいらっしゃる堀内様が立ち会って下さり、往時のいろんなお話をして下さいました。

お風呂は五右衛門風呂のように浴槽の下に釜がある形ではなく、別の場所にある大きな釜で湯だけを沸かし、そこから男衆が湯を運んで浴槽に入れて使っていたこと。

今は「本棟造り」という名前が大変通っているが、もともとこの地方ではこの手の建物は本棟造りという名前で呼ばれていたわけではなく、「ホンミネの家」と呼ばれていたこと。 
(本棟造りという言葉は、後年、大学の先生が名付けられたものではないか?と奥様は仰っていました)

いろんなお話を伺いながら幾重にも重なった小屋組みの構造材を見上げていると、暗い小屋裏の向こうにふっと小さな明りが見えました。

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煙出しを通じて入ってきた外光が、煙り出しの中の壁を照らしています。

写真下半分が真っ暗なのは、吹抜け部分に全く照明などがないためです。
これは夕方5時ごろにストロボ無しで撮った写真ですが、 現場でもこんな感じで見えました。
 (露光時間が長かったので、手ブレしています)
暗い中にふっと浮かんだほのかな明りに、なんとなく心が安らぎました。

昔この家で生活されていた皆さんも、同じ明りを見ていたのでしょうね。