投稿者「mokuzo_architect」のアーカイブ

3年間天然乾燥させた杉の含水率

木材の含水率(がんすいりつ)という言葉は、一般の方には聞き慣れない言葉かと思います。

簡単に言うと、木がどれだけ乾いているか?という度合いを表す指標なのですが、木材というのは乾燥するほど強度が上がるという特性がありますので、建築用材として木材を使う場合には、概ね20%以下になるまで含水率が下がってから木材を使うことになっています。



樹種によっても異なりますが、木材の乾燥には非常に長い時間を要します。
桧などはもともと含水率が高くない種類なので、製材後、半年もすれば充分使えるレベルになったりしますが、杉になるとそういうわけにはいきません。

最低でも製材後1年以上、できれば2年以上は乾燥させてから使いたいものですが、その間の材料管理や手間・土地代・在庫にかかる金利などがどんどん膨らんでいくため、現在では人工乾燥が一般的になっています。



今、ここで人工乾燥・天然乾燥の違いや利点などを説明するととても長くなってしまうので割愛しますが、先週高知県へ持って行って製材してもらった大黒柱の切れ端を持ち帰り、含水率を測ってみましたのでご報告します。


含水率


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


今回含水率を測定したのは上記の木材です。

この木は樹齢約110年。
2006年11月に伐採した後、4ヶ月間葉枯らし乾燥させ、
2007年6月にほぼ今と同じ太さに製材してから、約3年間自然乾燥させた状態です。
断面寸法は230mm×230mm


先週土曜日に表面の摺り直し製材をしてから雨に1日打たれた後2日しか経っていない状態なので、含水率が若干高い条件下での測定です。




含水率1含水率2


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


上の写真は、まず白太(しらた)といわれる辺材の部分を測定した結果です。
機械で表示されている数値が含水率を表しています。

含水率は木の位置によってそれぞれ異なるので数ヶ所で測る方が良いのですが、左の結果は16.2%、右の結果は18.1%となっています。

(上記の測定をしてから2日経った本日、全く同じ位置を再度測定してみたところ、
 もう少し乾燥が進んでいて左は13.3%、右は13.6%という結果でした)




含水率3含水率4


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


次に赤身と言われる心材部の含水率を測ってみました。
左が19.9%、右が20.3%と表示されています

(これまた上記の測定をしてから2日経った本日、全く同じ位置を再度測定してみたところ、
 もう少し乾燥が進んでいて左は16.2%、右は18.4%という結果でした)



上記の結果からもわかるように、白太(辺材)の含水率よりも、赤身(心材)の含水率の方が一般に高くなる傾向があります。

また、今回測定できたのはあくまでも表面の含水率であり、木材の芯の部分ではもっと含水率が高くなっていますので、この木の含水率が正確に何%であるのかは重量と体積を測って計算するより他に求める方法はありません。

そして、いくら年月が経ったとしても、大気中の湿度とのバランスによって含水率は変化するので、日本の気候では一般に15~18%程度以下には平均含水率が下がらないと言われています。

そういった中で含水率20%の木材を使うように指導されている現行建築基準法に対しては、現実問題として僕は多少疑問を持っていますが、いずれにしても木材はきちんと乾燥させてから使うべきであるというのは木材の強度発現・防蟻・防腐の観点から考えても間違いありません。



でも木材の乾燥というのはとても難しい問題なんですよね。

昔から大工さんや材木屋さんがずう~っと取り組んできた問題なのですが、未だに科学的には究明されていないところがたくさんあります。

でもそこがまた木の魅力の一つでもあるんです。

内子町 弓削神社の木橋

昨日ご報告した高知県梼原町へ行った翌日、愛媛県内子町内の石畳地区にある弓削(ゆげ)神社へ行ってきました。

ここは今年の2月に内子町で僕が公演をさせて頂いた折に、地元観光協会の方から
「素晴らしいところですからぜひ行ってみてください」
と教えて頂き、いつか行ってみたいなぁと思っていたところです。

こんなに早く行けるとは思っていなかったのですが、幸いなことに前日まで降りしきっていた雨も止み、ゆっくり堪能できました。

石畳1


 


 


 




上の写真が弓削神社のほぼ全景です。

右半分を覆っている森の中に小さな祠があって、神様が祀られています。
手前の池にかかる木造の小さな小さな太鼓橋は神社に至る参道で、池と橋も含めて弓削神社の境内となっているそうです。


石畳2 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



上の写真は屋根付きの太鼓橋の内観です。

質素な材料で作られた素朴な橋ですが、華奢でかわいらしい感じがとても好ましく、むくりも美しいですね。

神社にかかっている太鼓橋って、けっこうこれ見よがしな雰囲気のものが多いのですが、この橋は違っていました。

きっと村の方が総出で普請されたのでしょう。
仕事は粗雑でしたが、とても気持ちがこもっていて何気ない感じがかえってよかったです。



弓削神社は山のかなり上の方にあります。

周囲には民家もポツポツと散在しているような状況で、栗畑や千枚田などがあって、谷越しに向かいの山がよく見えてとてものどかなところです。

小一時間ほど辺りをうろうろしていましたが、僕たちが訪れている間も他のお客さんが見えることもなく、車も通らなくてとても静かでした。

近くの田んぼの中をのぞいてみたら、水底をイモリが這いつくばっていたのでそっと捕まえてみました。

イモリは僕の腕の上を行ったり来たりしていましたが、またそっと田んぼの水に戻してあげると、体をくねくねと振って上手に泳いで行きました。



弓削神社はかわいらしいこの木の橋の姿が印象的ですが、やはり一番の魅力はあたりの静けさではないかと思います。

いつまでもあの静けさが保たれるといいなぁ・・・。

車でないと行けない辺鄙な場所ですが、機会があったらあなたもぜひ行ってみてください。

四国へ行ってきました

先週末に、高知県と愛媛県へ行ってきました。

来週から基礎工事に着手する予定のK様ご夫妻と、高知県の梼原町森林組合へ行って、材料の視察をするためです。

先日ご報告した通り、和歌山で預って頂いていた長さ9m×24cm×24cmの大黒柱を必要な長さ(6.9m)に切断し、2トンロングのトラックに積んで自走していきました。

積み込みの際には、和歌山の東建設工業の皆様に手伝って頂きました。
東さん、ありがとうございました。

大黒柱0703_1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真は左が6.9mの大黒柱(製材前)
右がその切り落とした端材(2.3m)です。

端材といっても軽く50kgくらいはあるので、持ち上げるのは結構大変です。

大黒柱0703_2

 

 

 

 

 

この大黒柱は、2006年11月に静岡で伐採→葉枯らし&製材してから3年間自然乾燥させたものです。

自然乾燥させた間に、小さい割れが入ったり、ほんの少しねじれや反りが出ましたが、そのクセを取って真っ直ぐな柱にするために、梼原町森林組合の製材機で摺り直し製材をしていただきました。

大黒柱0703_3 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、製材した後の大黒柱はこんな表情になりました。
手前が根元、奥が末になります。

この木はもともとオトナシ~イ木だったので、あまり暴れていませんでしたが、それでも少しねじれや曲がりがありました。
(6.9mの間で最大5mmの曲がりでした)

今、構造材の見積もりや加工図面の詰めを行っているところで、来週からは加工に入る予定です。

現場では来週から基礎工事が始まります。

土用に入る前に土をいじる工程は済ませたいところですが、梅雨時期だけに天候が心配です。

今回も四国へ行く道中は大雨でしたしね。

地下95mの恵み

井戸水


 


 


 


 


 


 


 


 


 


たいへんありがたい水源に巡り会いました。

伊丹市内の酒造メーカーである、伊丹老松酒造株式会社さんが老松丹水と称して、自社でお持ちの井戸水を無料で配っておられます。

以前からその話は耳にしていたのですが、どこにあるのかわからず探していたところ、つい最近になってようやく見つけて2日前に早速もらいに行ってきました。



行ってみると、平日の真昼間なのに10人くらいの行列ができていてビックリ。
僕も並ばせてもらって、20L分けてもらってきました。

帰ってきて早速飲んでみたのですが、とても美味しかったです。
伊丹老松酒造株式会社様、ありがとうございます。

今後、東風からお土産や献酒などでお酒をお持ちする際には、伊丹老松酒造さんのお酒を用意させていただこうと思います。
(↑我ながら、なんとゲンキンな・・・)



昨年までは、東風で使う飲料水は六甲山まで汲みに行っていました。
でも、往復1時間かけてガソリンを使って汲みに行くのはどうも気が引ける・・・と思って、今年に入ってから自重していました。

しかしここならすぐ近くですし、そういった心配はなさそうです。



伊丹は清酒発祥の地だそうですが、市内には酒造メーカーがいくつかあり、市街地中心部には古い蔵が残っています。

日本酒の消費量は減ってきていて酒造メーカーさんとしては大変だと思いますが、ぜひ頑張って頂きたい。

微力ながら応援させて頂きます。

夏バテ

今年も来ました。

いつもよりえらく早いんじゃないかと思うんですが、すでに夏バテ気味っぽいです。
まだ初夏の段階なのに、こんなんで大丈夫か?と言われそうですが、僕は夏に弱いんです。

10年ほど前に
「どうやら自分は夏バテするらしい」
ということに気付き、少しずつ対策っぽいことを講じるようにしています。

対策といってもたいしたことではなくて、冷たいものを控えて熱いものを飲むようにするとか、エアコンはあまり積極的には使わないようにするとか、といった簡単なことなのですが、ここ数年は症状が出始めたと思ったら鍼治療を受けるようにしてきました。

鍼でね、症状がすごく軽くなるんですよ。
もうビックリしますよ。
お悩みの方はぜひお試し下さい。

でも鍼って、いい先生に当たらないと何だか怖いですよね。



何かいい対処法って無いものでしょうか?
どなたかご存知でしたらおしえてください。

名前のせい?

先週末、土曜日には西明石で地鎮祭を行いました。
7月中旬着工予定のK様邸です。

前日夕方までの天気予報では、
「朝方まで雨、その後雨は止んで曇り」
との予報で安定していたので安心していたのですが、朝起きてみると天気予報のサイトが真っ青になって

「今日は1日中雨ですよ~

なんて予報に、何食わぬ顔で変わっている・・・。
まぁ、梅雨ですから、そのくらい先読みできなかった僕が悪いんですが・・・。



そこからは、前日に予約をキャンセルしていたテントを再度借りるようにお願いして、約1時間遅れで地鎮祭が始まったのですが、地鎮祭が始まると雨は小降りになり、その代わりに今度はものすごい風・風・風!

もうテントが倒れるんじゃないか?と思うような風で、まるで台風でした。



地鎮祭の間はテントが揺れないように、支柱をぐっと支えていたのですが、そんな中思い返してみると、昨年京都で行った地鎮祭の時もすごい風でした。

つまりこれは、

「うちの事務所名が”東風”だからだろう」

ということに(苦笑)。



ひょっとするとこれから先、うちの事務所で行う地鎮祭は、すべからく突風に見舞われるかもしれません。

みなさまどうぞご了承下さい。

大黒柱

昨日は、西明石で地盤調査に立ち会った後で和歌山へ行ってきました。

友人の東さん(東建設工業)が預って下さっていた大黒柱を確認するためです。

K邸大黒柱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真中央の材料が、今回使う材料です。

上の画像をクリックして拡大表示していただくとお分かりになるかと思うのですが、根元から末まで9mの間ほとんど節が無くて、杢も材の中央を偏りなく真っ直ぐ貫いており、大変美しい木です。

色が黒ずんでいるように見えるのは、写真で杢がわかるようにと思い表面を濡らしたためです。

この木は2006年の晩秋、新月に合わせて伐った静岡産の杉の木です。
樹齢は約110年。
長さ 9m 太さは 240mm×240mm。

標高900mの北斜面という厳しい条件で育った木なので、
とても目が詰まっていて、おとなしい木です。
3年間、じっくり天然乾燥させたものです。

  伐採の時の様子
  → https://mokuzo-architect.jp/archives/50764203.html

  4ヶ月間、山で葉枯らし乾燥後、出材した時の様子
  → https://mokuzo-architect.jp/archives/50846599.html

  製材した時の様子(2007.06)
  → https://mokuzo-architect.jp/archives/50937247.html

この木は、これまで東建設工業さんが好意で預って下さっていたのですが、このたび嫁入り先が決まり、来月から西明石で着工するKさんのお宅の大黒柱として使わせていただくことになりました。

東さん、いつもありがとうございます。m(_ _)m

今からどんな仕上がりになるのか楽しみです。

追記

そう言えば・・・と思って過去の写真を見ていたら、この木を製材した時(2007.06)の写真が出てきました。
こんな顔です( ↓ )。

大黒柱3

古材檜の艶

週末は、土曜日の夕方から奈良県の室生へ。
以前より大変お世話になっているゆらきの芦田様のお宅へおじゃまして瞑想の実践会に参加してきました。


室生


 


 


 


 




上の写真は近鉄・室生口大野駅の改札付近から見た家並の様子です。
この写真を撮った時は、ちょうど土砂降りの雨が上がった瞬間で、しっとりと濡れた瓦と山の緑がきれいでした。




ゆらき








 


上の写真が、ゆらきの芦田様のお宅の外観。
築後350年を経て、今なおしっかりと建っている素晴らしいお宅です。

家のすぐ裏には山が迫っていて、緑がとても豊かです。
水は山の湧き水を引いていて、とっても美味しい水がいただけます。

飲料水用のタンクを持っていって、水を分けて頂いてくるべきでした・・・。
(バタバタしていて、そんなことまで気が回りませんでした)


檜


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


土曜日の晩、芦田様ご家族をはじめ、当日の参加者のみなさんと一緒に遅くまでお酒を飲んでいろんなお話をさせてもらっていたのですが、その時に僕はずっとこの檜の上がり框を撫でていました。

築100年以上の古民家に檜が使われていることは、少なくとも近畿周辺では非常に少ないのですが、この框はとても素性のいい檜でした。
背も割と大きくて、6寸~7寸くらい。



檜は使い込むうちに、とてもいい艶が出てきます。
こういう味わいは人為的には出せないものですね。

今は昔と違って民家であっても檜を自由に使えます。

僕はどちらかというと、肌理の細かい檜の肌よりも、目がはっきりして優しい感じの杉の表情が好きなのですが、やはりこういう使い込まれた檜の味わいは素晴らしいですね。

この框は何年経っているのでしょう。
創建当初(350年前)からあったものかどうかはわかりませんが、これからも代々大切にされていくことでしょう。

金閣の漆と金箔

金閣


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




昨日に続き、木曽の漆の話の続きです。



創建当初の鹿苑寺金閣は昭和25年に火災によって焼失しました。
現在我々が見ることのできる金閣は、昭和30年に再建された建物です。

上の写真の通り金閣は3層の建物で、初層以外の2層目・3層目には全面に金箔を貼って仕上げられています。

先週末に行ってきた木曽平沢で、この金箔の復旧工事について詳しい事情を聞いてくることができましたので、少しお話します。



金箔の最初の下地は木材(板や角材)なのですが、その木の上に漆を塗って下地とし、その上に金箔を貼っています。

昭和30年の創建時にも同じように漆+金箔を貼って仕上げられたそうですが、その箔は10年でボロボロになってしまったそうです。



そして再建から約30年後、昭和61年から62年にかけて昭和の大修理と言われる工事が行われ、下地である漆の塗替え工事とともに金箔も全て貼り替えられたそうですが、その劣化原因はどうも金箔の厚みにあったようです。

上述の昭和の大修理に際しては、
「なぜこんなにも早く金箔や漆の劣化が進んでしまったのか?」
という原因究明の調査や試験が行われたそうで、その結果わかったことは、漆の保護膜としての金箔自体の厚みが薄すぎて、金箔にピンホール(微細な穴)が開いていることにその主原因がある、ということだったそうです。



金箔にピンホールが開いてしまえばそこから紫外線が入り込むのは明白で、何よりも紫外線に弱い漆の塗膜はすぐに劣化してしまうというわけです。

そこで昭和の大修理の際には、通常の5倍の厚さの金箔が貼られることになりました。



創建時(1397年)の金閣は今から約600年前の建物ですから、もし金箔が張替えられていなかったと仮定すると(※)600年前に作られた金箔だったということになります。
※註:この点については僕は確認していないので、実際どうだったかはわかりません

昭和の再建時には金箔の製造も機械化されていたので、600年前よりもずっと薄く金箔を作ることができたであろうことは容易に想像できますね。



そして、金閣の漆(←金箔の下地)塗りの工事には、木曽平沢の職人さんが京都まで出向いて関わられたそうです。

それはなぜかというと、木曽平沢ではテーブルや座卓のような、漆でも大きな平物を扱う技術に長けた職人さんが数多くいらっしゃったからとのこと。

もっぱらお椀や箸などの小さな工芸品に漆を塗っている仕事だけを手がけている職人さんでは、畳1帖やそれ以上に大きな平面をきれいに波打たずに仕上げるということは不可能で、それにはやはり大きな平物をいつも仕上げている職人さんでなくては施工できなかった、ということです。

なぜ木曽平沢にだけ、大きな平物を扱える職人さんが多くいたのか?ということについては、木曽平沢では錆土という漆用下地材が産出されたから、というのがその最大の理由なのですが、この説明は非常に込み入っているのでここでは省きます。

( ↑ 知りたい方は、お会いした時にお話しします)

以上、金閣と漆のお話でした。



漆を根本的に理解するのはなかなかに難しく、まだまだ勉強が必要です。

木曽平沢の漆-1 手黒目

先週末(6/12-13)は土日2日間かけて木曽に行っていました。
日本民家再生協会主催の建築専門家向け研修イベント/日本建築研鑽会・木曽講座に参加するためです。

西は下関、東は新潟県長岡など全国各地から建築に携わっている同協会の専門家が集まりました。

木曾ツアー


 


 


 


 




今回のテーマは、「漆と建築」でした。

木曽といえば、なんといっても漆器と木曽檜です。
今回の研修会では上記2点に的を絞って、

 ○ 木曽平沢で漆業を営んでおられる方々
 ○ 木曽檜の販売をされている方々

からお話を伺うことができました。



木曾手黒目


 


 


 


 




僕が今回の研修会で一番印象に残ったのは、木曽平沢で漆器を製作されている巣山定一さんのお話です。
上の写真は手黒目作業をされている巣山さん。



巣山さんは、漆を手黒目(てぐろめ)という方法で生漆(きうるし)をご自身で過去25年以上にわたって毎年精製されていらっしゃいます。

巣山さんによると、一般には漆の精製は機械で攪拌しながら温風を当てて水を飛ばすという方法でされていることがほとんどのようです。
このように手黒目にて漆の精製をされている方は大変少ないとのことでした。

手黒目作業では、数日前から好天の続いたような空気の乾燥した日を選んで、直射日光が当たる状態で、上記のように傾けた舟の中で漆を空気や紫外線にさらしてあげることで、生漆の中に含まれている水分を飛ばしていくのだそうです。

と、言葉で言ってしまうととても簡単そうですが、天候・気温・漆の状態・攪拌の手法や速度・どのタイミングで攪拌をやめるかなど、手黒目の技術を習得するのは何度も何度も積み重ねた経験を要するそうで、とても難しいとのこと。

しかし、手黒目によって精製された漆と機械精製の漆とでは、品質に明らかな差が出ることを、材料(=漆)と年月を経た製品を見せて丁寧に説明して下さり、とても納得できました。



この巣山さんにお目にかかって直接お話を伺えたことは、僕にとってとても得がたい経験となりました。

本当はもっともっとお話ししたいことがあるのですが、とても伝えきれないので、それはまたお会いした方だけにお話しするということで今回は筆をおきたいと思います。

巣山さん、本当にありがとうございました。

漆に興味のある方は、ぜひ巣山さんのホームページをご覧下さい。



木曾官材


 


 




 


2日目には、上松(あげまつ)町というところまで行って、木曾檜(官材という実生の天然檜)の原木市場と製品市場を見学させて頂きました。

僕は東風で3年前に担当させてもらった新築伝統構法の現場で木曾檜について教わる機会があったのですが、今回は木曾檜の流通経路についても教わることができて興味深かったです。

これも話が尽きないのですが、またお会いした時にお話しするということで。



明日は木曽平沢の漆-2として、金閣の漆と金箔について聞かせて頂いた内容をかいつまんで書くつもりです。

どうぞお楽しみに。



【謝辞】
今回の研修会は、日本民家再生協会会員である長野県在住の本城さん(有限会社 田空間工作所)のご尽力と、関係者のみなさまのご協力により実現したものです。
心より御礼申し上げます。